世界中の人びとが、一つのボールだけで心を通わせることができる魅惑のスポーツ。それが「サッカー」。英語ではフットボール、イタリア語ではカルチョ。ニッポンのサッカーが世界に目を向け始めた1980年代後半から、テレビ、雑誌、新聞などを通じて日本中に届けられ、次第に大きく育ってきた「サッカー文化」。ここは「日本のサッカー文化」を、さまざまな切り口から、とことん楽しもうというweb上のテーマパークです。
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国を代表して戦う、ワールドカップサッカーような大切な試合になると、私たちは、皆んなで心を一つにして、その試合の行方に一喜一憂します。スタジアムに立ち会えたサポーターだけではなく、どこかのパブリックビューイングでも、どこかのスポーツバーでも、それぞれの家庭のテレビの前でも、皆んなの心は一つになります。魅惑のスポーツ「サッカー」です。
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サッカーの世界、それは、いまや、実に多くの人々によって支えられています。スタジアムの中ではレフェリー、ドクター・広報などのチームスタッフ、スポンサー関係者、さらには協会などの組織関係者、取材記者などメディア関係者。欧州の人気サッカーリーグなどは巨大ビジネスの場になっています。サツカーの世界は、もはや「魅惑のスポーツ」という枠をはみ出しかねない、危うい世界になりつつあるかも知れません。
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サッカーの世界には、いつも「アンセム」などの音楽が寄り添ってくれます。
また、クラブチームでは、試合前に何万人ものサポーターが高らかにチームソングを歌いあげます。もはや音楽がサッカーチームを支え、サッカーチームと音楽が一体となっています。
「サッカー」の世界を彩る色彩も魅力です。ユニフォームの色彩、チームフラッグの色彩、スタンドを埋め尽くすサポーターが描き出す色彩、それが広いピッチの緑と常にコントラスト鮮やかに私たちをワクワクさせてくれます。
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「サッカー」は、多くの有名人・芸能人が愛するスポーツでもあります。
有名ミュージシャンによって、有名タレントによって、そしてお笑いの世界に君臨する人たちの手によって、より楽しいエンターテイメントとなって、私たちの手元に届けられています。
サッカージャーナリストやサッカーフォトカメラマンたち。それら表現者たちにとっても「サッカー」というジャンルがいかに魅力的な表現対象であるかが、ひしひしと伝わってきます。
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こうしてみると「サッカー」そのものが文化の一つであると同時に、ほかのさまざまな文化と融合した複合文化になっていることがよくわかります。
また「サッカーの世界」には、辿れば辿るほど奥が深い歴史があります。世界を見渡すと100年以上、この日本でさえ1980年代後半から数えただけでも相当の歴史を積み重ねています。
日本のサッカーは、世界の舞台に手が届くようになってから、さまざまな伝説的な経験を積んできました。それらの場面では、さまざまな要素が絡み合い、実に興味深い結果が積み上げられてきました。
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日本サッカーが積み上げてきたこれまでの歩みは、テレビ、雑誌、新聞などのメディアに克明に記録されています。
その時々のサッカー関係者が下してきた判断、決断、その結果として表れた出来事が、果たして適切だったのかどうか、歳月を経ることによって検証され、それが「サッカー文化」の歴史的遺産となっていきます。
私たちは、それら「サッカー文化」の歴史的遺産を100年先に繋ぎ伝えます。